医療的ケア児と呼ばれるこどもたちがいます。
厚生労働省では、医療的ケア児を次のように定義づけています。
医学の進歩を背景として、NICU(新生児特定集中治療室)等に長期入院した後、引き続き
人工呼吸器や胃ろう等を使用し、たんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な児童のこと。
はじめて耳にする方はびっくりするかもしれません。
聞いたことのない用語が多く、イメージがわかないかもしれません。
医療的ケア児は、全国におよそ2万人います。この人数は15年で、2倍に増えています。
医療が進歩して、昔は助けられなかった命が助かるようになった。その結果でもあると言えるでしょう。
うちの長女は、医療的ケア児です。
1日のはじまり
5:30AM。わが家で最初に起きるのはいつも長女です。
小学生の長女と年長の長男の3人家族です。
長女は日の出と同じリズムで起きてきます。大変羨ましい動物的な生活リズムです。
わが家の朝はちょっと忙しい。
6:00〜6:20 娘の身支度
6:20〜6:45 朝の水分/栄養注入
6:45〜7:10 娘のお弁当を作りつつ朝食
7:30〜7:55 息子の幼稚園送迎
7:55〜8:15 娘の学校送迎
8:30〜 在宅ワーク開始⋯
どこの家庭も朝は忙しいと思いますが、こどもと「ピタゴラじゃんけん装置」を予想している瞬間が朝の癒しだったりします。
「医療的ケア児」になるまで
出生時、娘は産声(うぶごえ)をあげませんでした。
別室に連れて行かれ、翌日には大きな病院へ転院。NICU(新生児集中治療室)で過ごすことが決まります。
インフルエンザが記録的流行していたこともあり、娘に会えたのは出生から3日後。
あちこちから電子音が聞こえ、独特な緊張感をもつNICU。
娘の手に指を乗せると、ギュッと握ってくれました。
それから間もなく、医師より脳性麻痺と診断されました。
その影響で、右手と両足が、うまく動かせません。細かい作業ができるのは左手だけ。といっても、その左手も決して器用に動くわけではありません。身体もすこし大きくなってきたので、ベビーカーを卒業し、いまは車椅子で移動します。
食事も、「嚥下(えんげ)機能障害」といって、口から十分に摂取することはできないため、胃に直接、栄養剤を入れる「胃瘻(いろう)」という医療行為で生きています。
生まれてそうそう、大変仰々しい名称をたくさんいただいた娘です。ここまで書くと、ずいぶん大変そうに見えるかもしれませんが、僕にとっては娘が初めての子育てなので、これが日常になっています。
絶対評価と相対評価
これは家庭や仕事にも言えることですが、絶対評価と相対評価は考えれば考えるほど奥深いと思いませんか?
僕は、絶対/相対評価をこう定義づけています。
絶対評価:昨日の自分と比べて今日はどうか?
相対評価:まわりに比べて自分はどうか?
世の中、相対評価が多すぎると思います。学校のテスト、模試、運動会⋯会社に入ると、年次査定、上司からの評価、営業ノルマなどなど。ようやく企業人事の中では絶対評価の重要性が語られ始められ、1on1 を中心に個の成長にスポットが当たるようになりました。
少し脱線しましたが、
僕も娘が障害をもっていなければ、相対教育をしていたかもしれません。
「みんな平仮名書けるようになってるよ?」
「習い事みんなしてるよ? なにかやりたいことないの?」
「みんなちゃんとしてるんだから、ふざけない!!」
最低ですね。こどもには「みんな」という声がけをしないよう気をつけようと思います。
「昨日より今日」を意識すると、何より自分がずっと楽になる気がします。
こどもの居場所を探して、半年が過ぎる
「大変じゃない」みたいに書いてきましたが、正直に言えば、大変なことは、いくつもあります。
まず、通学。車椅子なので、毎日送り迎えをします。通えるのも、肢体不自由の子を受け入れられる支援学級のある学校だけ。遠足や校外学習は、親が付き添って引率します。もちろん、下校も送迎です。
そして、気軽に「ちょっと預ける」ができません。放課後等デイサービスという、学童のような施設に預けるにも、娘の場合は看護師がついてくれないと難しい。でも、その看護師をつけてもらうための福祉の区分から、うちの娘は外れてしまうんです。身体の障害はあって、医療的ケアも必要。それなのに、制度のすき間で落とされる。
(※この「グレーゾーン」の話は、別の記事でくわしく書きます)
これは福祉あるあるですが、少数は制度で拾ってもらえない。裁量権もないので書類だけで非該当になる。
その結果、こどもの居場所がなくなってしまいます。
※1時間1万円ほどを実費で払うことができれば話は別ですが⋯
娘にとっては、放課後等デイサービスに行けることは一つの大きな「居場所」になることは明白ですが、壁が高く多い。常に居場所や制度を探していますが、少し進んでまた振り出しに戻る。そんなことは日常茶飯事です。
諦める、というのとは少し違うんですが、「もう預けなくてもいいかな?」「面倒くさくなってきた」。そう口にすると、共感の声が、本当にたくさん返ってきます。
子供の居場所を見つけるために、一年の半分以上を費やしている感覚です。
こんな世の中、おかしいよね。シンプルに、そう思います。
この世界に入って、見えたこと
娘が生まれて、医療的ケアの必要な子が通う施設や療育の場に、足を運ぶようになりました。まったく知らなかった世界です。
そこで分かったのは、頑張っている親が、本当にたくさんいるということ。そして、みんな余裕がなくて、疲れている、ということでした。
『アンナ・カレーニナ』というトルストイの小説に、こんな書き出しがあります。幸福な家族はどれも似ているが、不幸な家族はそれぞれに不幸である、と。
不幸である、と言いたいわけではなく、「理想はだいたい同じだけど、課題は個別で無数にあるよね」ということだと思います。うーん、深い。
このブログでは、医療的ケア児の家庭に関わらず、子育てをしている家庭は、どこも同じように大変だし助け合う必要があると思っています。親というのは、たいてい余裕がない。
結局、親も人間なので。完璧である必要なんてないと思ってます。
僕も毎日のようにこどもに「お小言」を言われながら生きています(笑)
そんな時間や日々を楽しんで生きていたい。
そんな気軽な気持ちで生きるのって、素敵ですよね。


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